その動きの通り、UCIレースとしての第1回大会となるTHE ROAD RACE TOKYO TAMA 2025のファーストアタックは武山だった。その後もアタック合戦が続き、周回コースに入る前に逃げを決めたい思惑が交錯した。その中で、まずは最初の大きな動きとなったのが、残り94km地点で決まった武山とエリオット・シュルツ選手(ヴィクトワール広島)の2名の逃げだった。そこに、岡を含む10数名が合流し、そのまま10kmほどを逃げ続ける。しかし、勝負どころとなると目されていた山岳周回コースに入る手前で捕まってしまう。
その後、再びできた逃げに今度は沢田が乗り、最終的に14名の先頭集団となった。新城幸也選(ソリューションテック・ヴィーニファンティーニ)やカーター・ベトルス選手(ルージャイ・インシュアランス)、今村駿介選手(ワンティ・NIPPO・リユーズ)などを有しており、そこに入れられなかったユーロサイクリングトリップス・CCNとVC FUKUOKAが集団を牽引することとなったが、この2チームでは差が縮まらず。ただ、山岳ポイントに向けた本格的な上りが始まると逃げが崩壊し、そのチャンスを逃すまいとVC FUKUOKAからは本多晴飛選手が強力な引きを見せ、ジェラルド・レデスマ・ガルシア選手を前に送り込むことに成功。やがてベンジャミ・プラデス・レヴェルテ選手も追いつき、VC FUKUOKAはこれで逃げに2名が入ることに。そのほか、ソリューションテック・ヴィーニファンティーニとヴィクトワール広島からもそれぞれロレンツォ・クアルトゥッチ選手と久保田悠介選手が合流し、2名を入れたチームとなった。
宇都宮ブリッツェンも、3回目の山岳ポイントへ向けての登り口で、キリロ・ツァレンコ選手(ソリューションテック・ヴィーニファンティーニ)と共に岡が合流。これで宇都宮ブリッツェンも2名になったと思われたが、ちょうどそのタイミングでクアルトゥッチ選手がアタック。クアルトゥッチ選手は3回目の上りでアタックしたいことを新城選手に伝えていたようで、新城選手はアシストに徹し、その上りまでを強力に牽引し、逃げメンバーの力を奪うことに注力していた。そのかいあってクアルトゥッチ選手の逃げは成功したが、プラデス選手もついて行ったので、勝負はこの2名の逃げとなった。
その動きの中で、山岳賞を積極的に取りに行ったのは沢田だった。ツアー・オブ・ジャパンの京都ステージで、あと一歩のところで山岳賞を逃した沢田。スタート前のプランにはなかったが、逃げに乗れたことであのときの忘れ物を取りに行くことに挑戦。ほかに山本大喜選手(JCL TEAM UKYO)が山岳賞を狙っていたようだが、全4回中2回を沢田がスプリントで1位通過。3回目は逃げの選手に上位通過を取られてしまったが、意地の粘りの走りで3位通過し、1ポイントを積算。累積11ポイントで沢田が山岳賞を見事に確定させた。
レースのほうは2名が逃げ切り、クアルトゥッチ選手が優勝。プラデス選手が2位、岡と一緒に集団に追いついたツァレンコ選手が単独で前を追って3位となった。
追走集団には山岳賞を取り終えたあとも食らいついていた沢田が残っており、最近好調のスプリントで集団の頭を取って4位に。山岳賞も取り、最後はスプリントを魅せ、最高のパフォーマンスで日本人選手の最高位にもなった。マウンテンバイクの現全日本チャンピオンが、UCIロードレースの山岳賞を取ったこともインパクトがある。
今回のTHE ROAD RACE TOKYO TAMA 2025はYouTubeでの中継に加えて、J SPORTSのほうでも中継された上に、フィニッシュや表彰式が青梅駅前だったこともあって、多くのファンや住民の方が集まり、ツール・ド・フランスさながらの沿道の光景を見ることができた。そこで宇都宮ブリッツェンが存在感のある走りをし、沢田が表彰台に立てたことはチームとしても大きかった。ロードレースはこれで前半戦が終了したが、沢田は来週がマウンテンバイクの全日本選手権だ。チームの挑戦は休むことなく続く。